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京極堂人物大事典(仮)
京極堂のファンサイトです
柴田弘弥
『魍魎』
 柴田耀弘の孫。柴田弘明の一粒種。サイパンで戦死(増岡)
 昭和十二年。二十歳の頃は一般的には道楽息子と呼ばれる部類に入れられるような青年。勉学はそこそこ熟したが、歌舞演劇に大いに入れ揚げて耀弘の頭を痛めた。耀弘としては経営者としての英才教育を施そうと必死だった(増岡)
 祖父耀弘の熱意に反して、弘弥はどんどんと深みに嵌って行った。彼は放蕩三昧と云うタイプでこそなかったが、資産家にありがちな金銭的にルーズなお人好しだった。好きな芸者や芸人には援助を惜しまず、所謂パトロン的な役回りがお気に入りだった。横浜の劇場でもぎりをやっていた十七歳の美波絹子――当時は柚木陽子――と出遭う。お定まりの色恋沙汰が始まる(増岡)
 陽子は当時、病の母親を抱えて、大層苦労していた。陽子の父は病気の母と陽子をまるで犬の子のように追い出した。母は働くどころか歩くことすら一切できず、陽子はもぎりの他にも看病の傍ら内職をして、昼夜働き詰めであった(増岡)
 
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