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京極堂人物大事典(仮)
京極堂のファンサイトです
寺田兵衛
『魍魎』
 白装束に山伏の被るような頭巾――兜巾と云うのだったか――(頼子)
 御筥様教主。
 (寺田家について)江戸時代、京橋辺りに住んでいた宮大工。三鷹(当時の神奈川県新川村)に居を移したのは明治期の初め頃。その頃の寺田某は、家具や工芸品のような細工ものを造る、独り働きの木工職人のようなもの(鳥口)
 これと云った主張を持たぬ、癖のない凡庸な若者だった。分不相応にも中等学校を出ている。その後、隣町の町工場に就職し、そこで旋盤や溶接の技術を修得したと云う。不平ひとつ云わず黙然と勤めた。ただ父の跡を取り、箱屋を継ぐ意志はあまり持っていなかった(鳥口)
 やがて箱屋が軌道に乗り、職人を雇わねば立ち行かなくなって、どうせ他人を雇うなら――という理由で工場を辞めさせられ、木工の修行を兼ねて家業を手伝うことになる(鳥口)
 父と違い、腕の良い職人だった。仕事の覚えも早く、一人前の木工職人になるのに、そう時間はかからなかった。25、6で嫁を貰う(鳥口)
 腕が良いだけでなく、勉強熱心。家督を継いだあと、若い頃修得した旋盤や溶接の技術を応用し、更なる研鑚を重ねた結果、それまでに類を見ない新商売を考案した、金属の箱造りである。――(中略)――これは当たった。機会の試作品、研究室などの特殊な設備、意外に仕事はあったのだ。大学や軍隊からも発注があったらしい(鳥口)
 兵衛の造る箱は、設計図と寸分違わぬ。正確且つ精密、毛程の狂いもない。正に完璧な箱であったらしい(鳥口)
 「神社仏閣やお神輿など、精緻極まる細工物を熟していた宮大工の血がそうさせるのかもしれぬ」(その頃の本人)
 箱に取り憑かれた。
 太平洋戦争が始まって箱が造れなくなると、荒れた(近所の兵衛を知る者)
 元元近所付き合いが不得意だった(鳥口)
 復員してからは余計に愛想が悪くなり、頑なに心を閉ざし、只管孤独に暮らしていた。
 他人と上手くコミュニケーション出来ぬ不器用な人生。他人ごとではない。
共感を持つ(関口)
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